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刑法の勉強法

0 名前:名無しさん:2004/07/21 14:07
行為無価値・結果無価値どちらでも
1 名前:匿名さん:2004/09/29 21:53
107 名前:氏名黙秘 メール:sage 投稿日:04/06/02 09:30 ID:???
,97
生命は法益の中でもっとも価値の高いものだから、国家は生命の保護を最後まで放棄しようとしない。
自殺を選択する人の自己決定は必ずしも「正常で自由な状態で」行われたとはいえない場合が多い。
成員の生命法益が失われることは、国家にとっても損失である。
もちろん、国家が個人の生命の一部を処分できるわけではない。
生命法益は、個人の「正常で自由な」自己決定と国家の同意があってはじめて放棄できる。
ただし、国家は個人の生命法益放棄には同意しない。
極悪な犯罪を行ったものが、たとえ死刑自ら死刑を望んだとしても、ドイツ国家はその死刑にすら合意しない。
すなわち、ドイツは緊急状態(自衛のための戦争を含むNotwehrとNotstand)以外の状況では、
絶対に個人の生命放棄を許さないというわけだ。


108 名前:氏名黙秘 メール:sage 投稿日:04/06/02 10:46 ID:???
補足
自己決定によって生命を放棄することができないという考えは、必ずしも基督教から発したものではないと思われる。
自己決定とは、私法の領域で発展したEigentum(所有権)思想の一般的発展であって、自己の所有にかかる(自己に属する)
事柄については、利用・収益・処分の排他的権限が与えられているものと理解される。
そこで、生命がEigentum(所有物)かどうかが問題になる。結論をいえば、生命は所有者それ自体(Eigentümer als Solcher)
なのであって、人格の外側にある外的なEigentumないしはBesitz(占有)の対象ではない。よって、生命への処分権は完全な形で保障されない(Vgl. Hegel)。

もちろん、実際的な問題として、ナチ時代のドイツ刑法が生命を様々な建前(安楽死等)によって侵害していったことへの反省から、
絶対に損害回復(Wiedergutmachung)することのできない生命に関しては、自己決定権者の自由な意思が外的に精確に評価できない限りは
たとえ自己の生命の毀損であろうとも、いまだ違法評価することによってこれを保護しようとする思想がある、ともいえるだろう。

ドイツの話でスマンけど。
2 名前:匿名さん:2004/09/29 22:15
85 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール:sage 投稿日:04/09/05 16:55 ID:Mvg6Q1uT

そうですか。
一応問題関心にお答えしておきますと、ドイツには結果無価値一元論はありませんよ。
法文上、不能未遂が可罰的になる場合があり、結果無価値一元論はどうしても採用できないのです。
ドイツにおいては、違法論はほとんど不法論の次元に移されて議論されています。
そこで、不法論において一元的人的不法論と二元的人的不法論が争っています。

そもそもErfolgsunwertslehreという名前をつけたのは目的的行為論者のWelzelで、「揶揄的」な意味合いが込められています。
「結果しか考慮しない説」といった皮肉ですね。
これに対して行為無価値論のHandlungsunwertslehreという名前は、一般に知られている以上に深い意味合いを持っています。
つまり、犯罪を存在論哲学から考察した際に、「犯罪の違法性の基礎をつくっているのは、目的に向けられた人間の行為(Handlung)である」
という結論が得られ、そこから違法性は行為の要素であると考えるものなのです。
ここから、違法性は行為の一部となり、一般的主観的違法要素を認める立場へと移行していくのです。
この目的的行為論を徹底すれば、違法性はその独自性を失い、やがて不法へと取り込まれていきます。

86 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール: 投稿日:04/09/05 17:33 ID:H6wyI363

ドイツでは、近時、具体的危険説を採用する論者が増えています(ヒルシュしかりロクシンしかり)。
そして、もともと結果無価値論を提唱した平野博士ご自身がが具体的危険説を採用していた事実を
想起してみてほしいところですね。
あなたのおっしゃるような理解は、間違っているとまでは言いませんが、やや硬直的です。
なお、ヴェルツェルが行為無価値論-結果無価値論の対立枠組を明確に設定したというのはその通り
でして、その点を批判しているわけではないことを申し添えております(39年論文を読めば一目瞭然ですが)。

90 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール:sage 投稿日:04/09/05 20:49 ID:Mvg6Q1uT

丑の刻参りは処罰されません。
可罰的な不能未遂の成立には、1実行行為の開始、2法動揺の印象の二要件の形成が必要です。
丑の刻参りの場合は、行為者の著しい無知による場合(aus grobem Unverstand des Täters)なので、2の要件を充たしません。
このような場合は、abergläubiger Verusch「迷信未遂」と呼ばれ、原則として「故意を欠いている」ないしは「法動揺の印象を与えない」とされています。

91 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール:sage 投稿日:04/09/05 20:50 ID:Mvg6Q1uT
訂正
誤)
法動揺の印象の二要件の形成
正)
法動揺の印象の形成の二要件
3 名前:匿名さん:2004/09/29 22:16
92 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール:sage 投稿日:04/09/05 22:12 ID:IDNvDbQG

不法というのは「構成要件に該当する違法」を意味すると考えてよろしいんですか?
どうも不法論とか,違法性が不法に取り込まれるとかいうことの意味がわからないんですが・・・。

94 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール:sage 投稿日:04/09/05 22:17 ID:Mvg6Q1uT

基本的にはそう考えてください。
イエシェック・ヴァイゲントによれば、
「保護されている行為客体の侵害または危殆化の中に、所為の結果無価値が、
その遂行の種類と態様の中に、行為無価値が存在する。(略)
それらが犯罪構成要件に取り入れられることによって、
結果無価値ないし行為無価値は結果不法ないし行為不法となる」
と説明されます。

96 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール: 投稿日:04/09/06 00:03 ID:GOozHpT2

これも、ドイツの学説史からすると、不十分な説明です。
ドイツでは、v,Buri以来、主観説が台頭しましたが、主観説の下でも「呪い」のような事例は不可罰でした。
印象説は、主観説では広すぎるとされる処罰範囲を限定するために登場したものですから、印象説でも
不可罰となるのは当然です。
「行為者の著しい無知による場合」に当たるからではありません。
以下のドイツ刑法23条3項を見れば分かりますが、手段に関して行為者に著しい無知がある場合、直ちに
不可罰とされるわけではありません(最後のso以下です)。

Hat der Tater aus grobem Unverstand verkannt, das der Versuch nach der Art des Gegenstandes,
an dem, oder des Mittels, mit dem die Tat begangen werden sollte, uberhaupt nicht zur Vollendung
fuhren konnte, so kann das Gericht von Strafe absehen oder die Strafe nach seinem Ermessen mildern.
4 名前:匿名さん:2004/09/29 22:16
98 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール:sage 投稿日:04/09/07 10:43 ID:rrtKdaKj

で,違法論と不法論がどう違うのかがよくわからないんですが。
違法性が独自の意義を失って不法に取り込まれる,というのも。

99 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール: 投稿日:04/09/07 22:05 ID:VY4xcpbV

印象説は、可罰的不能犯の場合があるというドイツでは障害未遂及び可罰的不能未遂犯と
不可罰的不能未遂犯とを区別する基準に関する説であると理解していいのでしょうか?

101 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 メール: 投稿日:04/09/08 10:20 ID:eTt4ktaC

私は96さんではありませんが、

未遂犯の可罰性に関する説だと理解してください。
障害未遂と可罰的不能未遂と不可罰的不能未遂を区別するというよりも、
可罰的な未遂と不可罰的な未遂を区別するのです。


つまり、構成要件段階でいわゆる違法性の判断をしているということです。
構成要件に違法性推定機能を認めると違法性と構成要件は一体化していきますよね。
このあたりの議論は現代刑事法の最新号を読むとわかるかもしれません。構成要件の特集号ですから。
5 名前:匿名さん:2004/09/30 12:50
925 名前: 氏名黙秘 03/11/03 20:40 ID:???


> ことがあるが、刑法各論の基本書は西田典之とのこと(彼らはかなり

西田の336ページ。

「この点、下級審判例には、サラ金から借金をするため自己名義の
免許証に他人の免許証の写しから氏名等を切り抜いたものを置き
全体をメンディングテープを貼付して固定し、これをイメージスキャ
ナーを通してディスプレイに表示させた事案につき、このような間
接的な行使の形態を考慮すれば偽造にあたるとするものも現れて
いるが(大阪地裁平成8・7・8判タ960号293頁)、なお検討を要し
よう」

ってことは、西田先生は、判例に批判的?そうすると、この答案必ず
しも基本書主義ではないってこと?
6 名前:匿名さん:2004/10/23 03:46
320 :前スレの909 :03/10/23 05:52 ID:???
おはようです。
渡辺先生のレジュメに、参考として、こんなのがあります。刑法について昨日
は書かなかったので。ただし、平成11年1月の古いテープ&レジュメです。
でつ先生も、こんなあてはめだったのでしゅか?

<甲は、人通りが少なく街灯もついていない道路上で、深夜、女子高校生A
におもちゃの拳銃を突き付け、金を出せと言った。>

「甲の行為は強盗罪の脅迫に当たる。」では評価されない。
「甲の行為は反抗を抑圧する程度の脅迫に当たる。」でも駄目。
「確かに、甲は、おもちゃの拳銃を突き付けており、それがわかれば一般人
は畏怖しないだろう。しかし、当該行為は、街灯もついていない道路上で、
しかも深夜に行われているため、おもちゃの拳銃かを正確に見分けることは
困難である。さらに、Aは女子高校生であり、人通りの少ない道路で突然に
拳銃わしきものを突き付けられたら、とっさのことに拳銃と思い込みパニック
となり、容易に反抗が抑圧される状態に陥ってしまう。以上により、甲の当該
行為は反抗を抑圧する程度の脅迫と認められる。」などと事情を拾って評価する。

321 :氏名黙秘 :03/10/23 06:57 ID:???

この事例では、
「甲の行為は反抗を抑圧する程度の脅迫に当たる」
かどうかが問題となっているわけですね。で、試験委員も、その点を丁寧に
三段論法で述べているかどうかを見たがっている、と。
7 名前:匿名さん:2006/01/31 08:18
中山研一の刑法学ブログ
http://knakayam.exblog.jp/
8 名前:匿名さん:2006/05/24 12:47
佐賀県のひき逃げ事件。被害者に頭部骨折&脳挫傷という重傷を負わせ、
さらに自分の車の中(自己の支配内)に引き入れた上に林の中に放置して
逃走した行為ですが、この行為にはどうしても保護責任者遺棄罪(二一八条)は
適用できないのでしょうか??
ちなみに本件と類似した事件(最判昭和34年7月24日)では最高裁は二一八条の適用を認めています。
9 名前:匿名さん:2006/12/28 16:42
殺人の故意ありって認定されたんじゃね?
殺人と遺棄致死の違いは微妙だからな。
10  名前:投稿者により削除されました

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