☆アメフト☆
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名前:
名無しさん
:2004/09/13 12:07
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誰かアメリカンフットボー..
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65
名前:
削除依頼
:2009/10/17 16:25
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アメフト大学王座決定戦甲子園ボウル観客数
2004年法政対立命25000人
2005年法政対立命23000人
2006年法政対関学30000人
2007年日大対関学32000人
2008年法政対立命20000人
大学対社会人日本一決定戦ライスボウル
2006年法政対オービック28000人
2007年法政対オンワード32598人
2008年関学対松下電工34000人
2009年立命対パナ電工34655人
※ちなみに学生対社会人の動員数記録は1998年法政対鹿島で47000人
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66
名前:
削除依頼
:2009/11/12 14:13
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大学アメフトBIG3とは
法政トマホークス(関東)
立命パンサーズ(関西)
関学ファイターズ(関西)
の3チームを指す
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67
名前:
名無しさん
:2009/12/02 06:37
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関東大学アメフト決勝結果(過去19年間)
第22回 1991年(平成3年) 専修大学 33-31 日本大学
第23回 1992年(平成4年) 法政大学 34-20 日本大学
第24回 1993年(平成5年) 法政大学 45-31 慶應義塾大学
第25回 1994年(平成6年) 法政大学 27-17 日本大学
第26回 1995年(平成7年) 法政大学 58-0 専修大学
第27回 1996年(平成8年) 法政大学 26-21 日本大学
第28回 1997年(平成9年) 法政大学 46-30 東海大学
第29回 1998年(平成10年) 法政大学 44-14 日本大学
第30回 1999年(平成11年) 法政大学 28-20 日本大学
第31回 2000年(平成12年) 法政大学 65-23 日本体育大学
第32回 2001年(平成13年) 法政大学 55-42 日本体育大学
第33回 2002年(平成14年) 早稲田大学 45-17 専修大学
第34回 2003年(平成15年) 法政大学 27-10 東海大学
第35回 2004年(平成16年) 法政大学 30-6 中央大学
第36回 2005年(平成17年) 法政大学 56-3 慶應義塾大学
第37回 2006年(平成18年) 法政大学 49-13 慶應義塾大学
第38回 2007年(平成19年) 日本大学 38-34 法政大学
第39回 2008年(平成20年) 法政大学 21-20 日本大学
第40回 2009年(平成21年) 法政大学 38-11 早稲田大
優勝回数(=甲子園ボウル出場回数)
法大16回
早大1回
専修1回
日大1回★←20年に1度甲子園に出れるかどうかの弱小低学歴大学、人材の墓場www
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68
名前:
名無しさん
:2010/03/20 17:32
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☆☆関東アメフト界を独走する法政トマホークスが凄い☆☆
アンダーアーマーの正規代理店(株式会社ドーム)は、法政大アメフト部OB2人で立ち上げた会社で、社長・専務・常務は全て法政大アメフト部出身者です。
社長は1990年頃、当時日大の連勝記録をとめたときのキャプテン、専務はそのときのエースQB(クオーターバック)で、アメフト関係者なら誰でも知っているスーパースターです。
入れ替え戦に出場していたチームを、彼ら二人が日大に代わる常勝軍団に変えたと言ってもいいでしょう。ちなみに常務はその数年後活躍したQBで、当時大学2年だった私は、テレビでもスタンドでも彼のプレーを見て、あまりのすごさに衝撃を受けました。
実業団に入ってから実際対戦したこともあります。社長は大学卒業後、実業団でアメフトのコーチをした後、NFLヨーロッパ(NFLの下部組織、今はないはず)にコーチ留学をしたのですが、そのときに選手が着ているのを見たのが最初の出会いとのことです。
その後正規代理店として日本に広めたようです。そんなこんなで、日本ではアメフト界(恐らく最初は法政大)から広まったアンダーアーマーですが、初めは夏用のインナーウエアからスタートしたと記憶してます。
アンダーアーマーの社長安田(元三菱商事のエリート)
専務今手、常務は甲子園出たN村
パイロットの卵はエースでないほうのRBI藤
弁護士は入替戦出てた頃のラインY口とN田
20代で社長はS賀
三菱商事や電通に就職した者も数多い。
Xリーグ内定者数は常にトップクラス。
すぐ辞めたみたいだけどプロレスラーもいたな。
法政トマホークスは実力だけじゃなく就職も凄いんだな☆
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69 名前:投稿者により削除されました
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