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東大閥はなぜ慶應閥に負けてしまうのか?
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224 名前:匿名さん:2004/03/03 14:47
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東大と義塾の比較になると卒業生の活躍度では慶應に
分があるからといって、すぐに入試の難易度を比較したがる東大生が多い。
曰く「東大の方が科目数が多い」と。だが、科目数が多く
こなした人間が、必ずしも優秀なのであろうか?
弁護士を志す人間に積分を解かせる事に意味があるのだるか?
否。全く意味が無い。医学部を志す人間に古典文学を解かせる
先進国は日本だけである。医師になってから、受験の時に
勉強した「源氏物語」の知識が役に立ったと思う者は皆無
であろう。つまり、東大の多科目受験など全くナンセンスなのである。
更に、試験の質で言っても、東大は所詮アチーブメントテストの
範疇を脱さない。どれだけ時間をかけて「量」をこなすか
だけが問題となる。一方、義塾はと言うと、情報処理能力、理数能力、
言語力、論述力と言った本質的な学力を重視する。これはアメリカ
のSATに通じるものがある。問題作成にあたり、その手の専門家を
使っていることは確実であろう。このテストのお陰で、入塾者は
精選される。塾生が一般的に「頭の回転が速い」と言われているのは
これが所以だろう。こうして考えると、入学難易度、卒業生の活躍
などにおいて慶應が東大を凌駕しているという事が解る。
ある特定の分野では依然として東大が支配的地位を占めている。
だが、それは彼等が優秀だというわけではなく、過去の栄光を振りかざし
見せ掛けの権威を保っているだけに過ぎないのである。
後発国の日本は官主導で、大学を設立したために、未だに日本人の
意識の中に国立大学信仰がある。だが、経済発展を遂げた今、
また国立大学が独立法人化されるという現状を踏まえて、今こそ
慶應が東大と比べて遜色が無い大学であると言うことを声を大にして
叫ぶべきである。
米英では一流大学は殆ど私立大学である。日本では保守的な老獪によって
国立大学だけが優秀であるかのように喧伝されている。だが、
本来は慶応義塾は日本で一、二を争う大学である。これを認めない
限り、日本の大学が国際的な評価を得られる時代はやってこない。