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未履修教科があるのに補習を拒み続ける学校に卒業資格を与えるな

3 名前:匿名さん:2006/11/19 04:14
宗教系学校、特に一神教はいろいろな価値観に非寛容ですね。

『とかく宗教界の人間は「宗教平和」ということを言うが、宗教の基本は、自分たちとそれ以外を区別することである。
 キリスト教では異端を審判し、ユダヤ教の教義の基本は神と選ばれた民であるイスラエルとの契約であり、神道でも国を治めるべしとの神の命令から神話や国造りが始まっている。
 基本法第1項の「寛容の態度」が必要なのは、もともと他宗教に寛容ではないから。
 公立学校には色々な人がいるので、特定の宗教を教えることができないのは当然である。』
『一方で、私学については、学教法施行規則(第24条第2項)において、「宗教をもって前項の道徳に代えることができる」とある。
いろいろな人が集まる公立学校で宗教教育をすることは押しつけになり、信教の自由に反するが、決まった宗門の生徒が集まる私学では、宗教が道徳教育に当たるとの認識は正しい。』

阿部美哉氏(國學院大学長)の意見陳述の概要
(中央教育審議会第20回基本問題部会(平成14年12月19日)より)

ユダヤ教からキリスト教、イスラム教と続く一神教の教えについて日本人は安易に考えていないでしょうか?
 現在この中で最も信徒の多いキリスト教徒も日本の人口の1%程度といわれていますが、安土桃山時代から江戸初期においては西日本を中心に人口の約10%を占めていたといわれています。

 特に三宗教に共通して引き継がれている宗教感に終末観があります。
 「信ずるものは救われる」・・・この言葉に代表されるように『最後の審判』に備え日々の生活を送る。
 全ての教えの基本をなすものといっても過言ではないでしょう。
 ここに、一種の選民思想が潜んでいるといわざるを得ません。
 一神教の他者への非寛容さを無視して現代社会の国際情勢を語ることは出来ません。
 宗教を考える際には一神教の問題を抜きに考えるのは非現実的ではないでしょうか・

最後の審判(さいごのしんぱん)
「世界の終末においてメシアが出現し、死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄へ墜ちる者とに分ける、という思想をいう。
 これはユダヤ教からキリスト教・イスラム教に引き継がれ、これら3つの宗教において重要な教義となっている。
 元々はゾロアスター教の教義から来たものと言われる。」
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